重症筋無力症;全身型 第3回入院生活2日目

2018.2.20(火)
殆ど眠れないまま手術日当日の起床時間を迎えてしまった。
済んでしまったものは仕方ないので、洗顔をすることに。
手術室への入室前に、術衣、弾性ストッキングへ着替えを済ませておく
説明を昨日プライマリ看護師より説明を受けているが、まだ早いので
良いだろう。
昨日気が付いたが手術前日までは食事摂取が問題無いことにこのときに
思った。いつも主にPEGにしかふれあい無いため前日夕食より絶食、
もしくは固形物以外を摂取可だったので想定外だった。
もちろん今日は術当日のため朝食は食べれない。微妙に時間を持て余して
しまったので術衣に着替えることにしたが正解。弾性ストッキングの履き方が
わからず戸惑ってしまったために、丁度いい時間になってしまった。

迎えに来てくれた看護師に同伴してもらい手術室へ。
昨日説明をしてくれた見慣れたスタッフがそこにいた。

術台に寝ることを指示され、そのまま麻酔科医師がルートを作るのに戸惑って
いたため、場繋ぎに外来受診時に若い検査技師が血管が見えなくてギブアップ
した話しで術前に笑いを誘うことに成功!

そんことしているうちに麻酔用ルートが完成。そのまま背中に硬膜外麻酔の
ルートを作成するために左に向いた…ところで記憶が無くなった。

=============== 手術中記憶が無いため中略 ===============

随分と時間が経過したのだろう自分を呼ぶ声が聞こえてきた。
目を開けるとそこは手術室でも今朝までいた4人部屋でも無く、
個室に寝ていた。

左手には、呼吸心拍モニター。左脇には膀胱カテーテルの排尿口と、
排血用ドレーン×2本。右脇には左に同じく排血用ドレーン×2、
中心静脈カテーテル(と思われるもの)が点滴スタンドについている
精密持続点滴を経由して見たことない枝分かれで繋がっていた。
そして右手にはナースコールを持たされている。

なんとか無事に終わったらしいが、この仰々しい管類。傍目に見ることは
あるものの実際に自分がその場にいるとは人生51年で思いもよらなかった。

そんなざわざわした空間が感覚で10分以上続いたのか、私が覚醒したところで
ひとまずスタッフのみなさまは解散となった。

その場には空調の流れる音以外は何も無かった。

ようやく終わったことへの安心感が沸いてきた。想像以上に痛みが無いのは
まだ麻酔が完全に抜けていないのであろうか。もしそうだとしたらこの後に来る
痛みのことは一旦忘れて、この安堵感を感じる時間とした。

そして、その痛みはやってきた。

痛みで目が覚めたくらいの痛みが左脇から襲ってくる。術創は4か所あるので
全てに痛みが来るのかと思ったらそうでは無かった。気持ちはこの4か所分の
痛みが1か所に集まったのでは無いか?と思えるくらいだった。

時刻は20:00ころだったが、その後、背中の硬膜外麻酔を何度かして
もらったが深夜に全く効果が無いくらいの痛みが襲ってきた。
例によって看護師さんを呼ぶもの硬膜外麻酔の連続使用回数の上限に達した
ため他の白い液体が入った点滴に切り替えてもらった。これでいくらか
落ち着いたもののその頃には空は白くなってきていた。また寝れなかった。

それと寝れない理由に不慣れな酸素マスクのいづさと血栓予防のためと両脚に
装着された謎の脚モミ器(?)

酸素マスクは息苦しいし、脚モミ器はズルズル脱げてくるから看護師さん呼んで
直してもらったりと気になって気になってどうにも寝れる気分では無かった。

いくら麻酔で6時間寝てたとはいえこれじゃ… 

この点滴が意外と効果があったのか、また今夜も寝れないのか不安に感じたまま、
いつのまにかウトウトして寝てしまった。